【雑談】錯覚資産とは結局何なのか

 去年あたりにこの言葉が出たと思うが、これは結局何かというと、「袈裟が凄けりゃ坊主も凄い(ように見える)」である。

 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」をもじったものだが、もともとの意味は、その人や物を憎むあまり、その人や物に関するすべてのことが憎く感じるというものである。つまり「袈裟が凄けりゃ…」は、その人や物に関することが凄いと感じると、その人に対しても凄いとラベリングしてしまうということである。

 例えばブロガー界隈のTwitterで、プロフィールに「○○万PV達成」とか「月商(年商)○○万稼いでます」とかを書いてるアカウントを見たことがあると思う。そういう部分を見て、この人はすごいブロガーだと判断してしまうと、その人の言ってること、やってることも凄い、説得力がある、といった感じに見えてしまう。

 勿論ブロガーに限った話ではなく、インフルエンサーとか、著名人とか、色々いるけどそれらも同じである。その人たちを凄い人と判断することで、その人の言ってることややってることを盲信するようになったり、実際盲信する人が出てくる。この人の言ってることは正しい、この人の言うことには説得力がある、この人に盾突く人はすべて敵だ、といった感じに。それらが悪い方向に進んだものが、所謂カルト宗教と呼ばれるものなのだろう。

 こういった錯覚資産から逃れる方法はとても簡単で、その人の経歴などを見て凄い人だと判断しないことである。それらを見て相手が上、自分が下、と判断したときから錯覚資産が始まるのである。

 これは見下すのとは違う。あくまであなたと私は同じ一人の人間ですよ、ということである。どちらが上でもなく、どちらが下でもない。対等であること理解する。

 これを頭に入れておけば、「○○万PV達成」とか「○○万稼ぎました!」といったキラキラするプロフィールに惑わされることもないし、それが滑稽に見えてくる。また「○○万部突破!売れてます!」「○○(○○は人名が入る)推薦!」といった宣伝が帯に書かれている本もあるが、それがいかにどうでもいいことかに気付く。

 相手が誰だろうと、結局は自分と同じ一人の人間に過ぎないのである。それを忘れないようにしたい。